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【都市伝説】時間が溶ける道

曇り空が低く垂れ込めた夕方だった。霞丘区のニュータウンから板木(いたぎ)地区に続く道の先に、いつの間にか一つの小さなトンネルができていたと話題になった。工事の計画書は見たことがないし、行政も「そんなトンネルは把握していない」と言う。にもかかわらず住民は、ある日を境にそこを普通に通り抜けて買い物へ出かけるようになった。怪しげに思うのは、外部から来た人や新住民くらいのものだ。

そのトンネルは、入り口が小さく、やや身体をかがめて入るような形になっている。中に入ると予想外に広い。まるで違う道に出たかのように、空気が乾ききっていて、どこかカビのような臭いもする。それでも少し歩けば出口が見える。しかし、一度通った住民はだれもが「変わった感じはなかったよ。便利だから使ってる」と首をかしげるだけ。
だが一部の若者は、トンネルを通ったはずなのに、なぜか“既知の道”とは異なる場所に出たという。夕暮れ時にくぐると、いつの間にか紅倉(べにぐら)区の廃倉庫街に出ていたとか、朧区の山麓近くの神社の裏口に着いたとか。不自然な移動をしたことに気づいて慌てて戻ろうとすると、トンネルが見当たらないという。

そのうち、いくつかの行方不明者が報告された。ニュータウンの管理会社は回覧板で注意を呼びかけ、「知らないトンネルは使わないで」と促した。けれど、他の住民がこぞって言うのだ。「そんなトンネル、前からずっとあったよ?」 まるで数十年来使い慣れたもののように。

どうやら、このトンネルは“時間”まで変質させるらしい。実際、特定の時間帯に入った人が予定より何時間も遅れて帰宅したり、逆に仕事に向かう途中で使ったら出勤時刻より早く着いたと言う社員もいる。一方で、夜遅くなるとトンネルの出口はずいぶん狭まって見え、まるで潜り抜けることを拒まれているかのようだ。

ある朝、ある家族がトンネルを通って幼稚園に送っていこうとしたところ、子どもを一瞬見失ったそうだ。すぐ先の出口にいると思ったら姿はなく、母親が必死で呼びかけると、暗がりの中から「ここだよ」と笑い声が返る。しかし、声の主はまるで幼児には思えない響きであり、光の届かない奥から四つん這いの影がにじり出てきたという。母親は悲鳴を上げてトンネルを飛び出し、あわてて警察に連絡した。後で確認すると、子どもは先に家に戻っており、「トンネルなんて入っていない」と言い張る。騒ぎを聞きつけた近所の人々は「あの道を通ると時々子どもが増えるらしいよ」と言い出し、何が正しいのか分からなくなった。

やがて、通報を受けた行政と管理組合が大がかりな調査をしたが、そこにトンネルなど見つからない。痕跡もなければ、道路工事の記録もない。そもそもその場所はただの民家の裏手で、コンクリの壁が続いているだけと説明された。
にもかかわらず、数日後に通りかかった主婦が「あら、そこにトンネルがあるじゃないの」と気軽に入っていく。彼女は普通に買い物へ行き、帰る頃にはトンネルを使わずに帰宅し、「便利な道だったねえ」と笑うのだ。

そして次の週、また別の人が行方不明になる。また別の人が時間を取り戻す。霞丘区のどこかに、いつも“そこにある”のに誰も本当には場所を特定できない。この街に住み続けるうち、住民たちはトンネルを問わなくなる。
ある者は自分が夢を見ていると思い、またある者は“時空が歪んだ道”に何かの実害があるなら警察が放っておくわけがないと自分を納得させる。もちろん、肝試し感覚で探し回る若者もいるが、いつの間にか別の街へ着いたとか、足取りを失ってしまうケースがちらほら。

誰もが知っているのに、誰も同じ場所を示せないトンネル。いずれこの街には、本来そこにいるはずの住民と、よそから来た住民と、どこか別の時空から滑り込んだ住民が入り乱れ、境目が判別できなくなるのかもしれない――そう囁く古老が、板木(いたぎ)の旧家にはいるらしい。なぜか、笑顔で。

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