私の地元は、少子高齢化が進み、まるで時が止まったかのような田舎町だ。
住民のほとんどがご老人で、誰かが亡くなれば、みな顔を合わせて「あの人が逝ってしまったのか」と囁き合う。
お通夜に参列するのは当然のことだった。
古い仕来りや伝統が、この町の血脈を今なお繋ぎ止めているようだ。
そんな町に、古いお寺と納骨堂、そして得体の知れないお地蔵さんがある。
そのお地蔵さんは、あまりにも古く、風化が進んで顔の形すら分からない。
ただ、よだれかけを着けているその姿から、お地蔵さんだと認識できるだけだ。
しかし、地区のご老人たちは、そのお地蔵さんを「首切り地蔵」と呼んでいた。
いつの時代からか、お地蔵さんの首には、真っ二つに切られた跡があったのだ。
子供を守護する優しいお地蔵さんの首が斬り落とされているなんて、あまりに不吉で物騒な話ではないか。
だからこそ、昔の人々は決めたのだろう。
「年が明けたら、お地蔵さんの首に泥を塗って、子供たちの健やかな成長を祈ろう」と。
時は流れ、大晦日の夜が明けた。
足腰の立たないご老人を除けば、地区の者は皆、お寺へ初詣に向かう。
私も、他の子どもたちが友達と楽しげに初詣に行く様子をSNSで見るたび、羨ましさを覚えた。
しかし、我が地区のお寺は、獣道のような험しい山道を進まなければたどり着けない。
そんなところまで行きたくはなかったが、暗黙の了解となっているこの行事に、私も仕方なく従うことにした。
叔父と二人、山道を登っていく。
寺に着くと、まだ誰の姿もない。
ただ、風のうなり声と、床を踏みしめる度に軋む音だけが、不気味に辺りに響いていた。
あの静寂が何とも言えず気味が悪い。
私は叔父に、「早く納骨堂に行こうよ」と促した。
お寺と納骨堂、そして首切り地蔵。
この3つの場所を回るのが地区の決まりだったが、回る順番は各家庭によって異なる。
我が家は、最初に寺、次に納骨堂、最後に首切り地蔵という順番だった。
叔父に急かされるように、再び獣道を歩いて納骨堂へと向かう。
5分ほどで到着した私たちの目の前に現れたのは、庭に墓石が整然と並び、本堂の中には各家の骨壺が棚に収められた、独特な雰囲気を醸し出す納骨堂だった。
広い本堂の中は電気が通っておらず、暗闇に包まれている。
奥の方まで続く棚が8列ほどあり、その静寂は異様なまでだ。
人の足音が響けば、すぐにわかるほどの静けさが支配していた。
叔父と私は、それぞれ手を合わせる相手が違うため、納骨堂の中をバラバラに歩き回った。
叔父は知り合いが多く、あちこちの棚で手を合わせている。
一方、私は知る人が少なかったが、手を合わせたい人がいたので、奥の方へと進んでいった。
入口から真反対の場所にある棚の前でようやく目的の骨壺を見つけ、手を合わせた。
心の中で、亡くなった人に様々な言葉を捧げる。
10秒ほど経って顔を上げた時、違和感を覚えた。
静かすぎるのだ。
外の音は聞こえるのに、人の気配がまるでしない。
聞こえるのは、日常では意識しない空気の音だけ。
背筋が凍るような感覚に襲われた。
叔父は、まだ手を合わせている最中なのだろうか。
そう思おうとしても、10秒、20秒経っても叔父の気配はない。
徐々に恐怖心が高まり、いつまで拝んでいるのかとイライラしてくる自分がいた。
恐怖のあまり動けなくなる、よくあるホラー映画のワンシーンを思い出し、体が固まってしまう。
まるで異世界に迷い込んだかのような、不気味な雰囲気。
AirPodsでノイズキャンセリングをされたかのような、不自然な静寂。
しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。
私は覚悟を決めて、体を動かそうとした。
その時、嫌な汗が一気に吹き出した。
後ろの方から、足音が聞こえたのだ。
それは叔父の足音ではないことがすぐにわかった。
叔父の位置は入口に近いはず。
真反対の奥にいる私のところに来るには、もっと早くから足音が聞こえているはずだ。
だが、その足音は、わずか5mほど後ろから突如として聞こえ始めた。
中途半端な距離だ。
しかも、歩くスピードが異常に遅い。
叔父ではないと確信した私は、再び動けなくなった。
考える余裕もなく、ただ本能のままに「振り返りたくない」という思いだけが脳裏をよぎる。
壁の傷跡を一点凝視しながら、鼓動が脈打つ音を震えながら聞いていた。
足音は、ゆっくりとだが着実に近づいてくる。
スリッパを履いている様子もない。
生々しい素足の音だ。
ピタピタ、いや、ベチャベチャと、まるで水を浴びてきたかのような音を立てて……。
不要な思考が頭の中を高速で駆け巡り、体は震えが止まらない。
そして、耳元で聞こえてきたのだ。
男の呼吸音が。
間違いなく、はっきりと聞こえた。
気持ち悪い、本当に気持ち悪い。
恐怖よりも、首筋を嗅がれているようなゾッとする感覚。
身動きが取れない。
声を出せば、命を落としてしまうのではないかという恐怖に支配されていた。
服をぎゅっと掴んで、必死に声を殺す。
その時、突然電気がついた。
ゆっくりと目を開けると、眩しい光が差し込んでいる。
向こうから叔父の声が聞こえた。
「電気のスイッチ、やっと見つけたよ!ちゃんと通電してたみたいだ!」
恐る恐る後ろを振り返ると、呼吸音の主は消えていた。
私は早足で叔父の元へ向かった。
「ねえ、ずっとここにいたの?」と尋ねると、叔父は「そうだよ。ずっと手を合わせていて、ふと電気をつけてみたらついたんだ。ラッキーだったね」と答えた。
このタイミングの良さに、私は背筋がゾッとした。
まるでホラー映画の中で、危機一髪で救われたかのようだ。
心の中で、叔父に感謝を伝える。
しかし、あの呼吸音が頭から離れない。
私は足早に納骨堂を後にした。
本来なら、次は首切り地蔵のところへ行くのだが、とてもそんな気分にはなれない。
だが、これも地区の決まりなのだ。
叔父に連れられ、渋々と地蔵の前に立つ。
5円玉、10円玉、1円玉の3枚をお供えし、いつも通り泥を首に塗る。
そして、心の中で願った。
もうこれ以上、不吉なことが起こりませんように。
あの呼吸音の主が現れませんように、と。
しかし、この話にはまだ続きがあった。
それから約1ヶ月後の夜のこと。
いつも通り眠りについていた私は、人生で初めての金縛りに遭遇したのだ。
目が覚めたというより、寝ぼけていて状況がよく飲み込めていなかった。
ただ、体が重く、呼吸も困難で、本能的に動こうとするも身動きが取れない。
パニックに陥っていた。
寝ぼけた頭でも、はっきりと覚えていることがある。
部屋の入口から誰かが入ってきたのだ。
姿ははっきりとは分からないが、男だったことは確かだ。
大柄で、黒い影のようだった。
その男は、私の体に覆い被さるようにして近づいてきた。
男の体重が私を圧迫し、完全に身動きが取れなくなる。
そして、聞き覚えのある音が響いた。
(…はぁ…………はぁ…………はぁ)
例の呼吸音だ。
耳元で、はっきりと息を吐きかけられる。
寝ぼけまなこで、かろうじて目だけを動かすと、私の真横で、耳元で、男が呼吸をしていた。
言葉にできない恐怖が全身を支配する。
必死で声を出そうとするが、喉から漏れるのはかすかなうめき声だけ。
どれだけ抵抗したのか、分からない。
ただ、気持ち悪さだけが際立って感じられた。
そんな時だった。
(…………うぅん!!!)
ようやく、絞り出すような声を上げることができた。
情けないほどか細い悲鳴。
その瞬間、体が軽くなり、呼吸音の主の気配が消え去った。
涙が頬を伝い始める。
恐怖からか、安堵からか、自分でも分からない。
ただただ、泣いた。
普段あまり泣かない私が、あの時は子供のように泣いたのだ。
後日、父に昨夜のことを話したが、父は一度も目覚めた覚えがないと言う。
寝ぼけて部屋に入るはずがないと一蹴された。
だが、私にとってあの呼吸音の主は、忘れられないほどの恐怖だった。
あれから8ヶ月が経った今も、時折どこからともなくあの呼吸音が聞こえてくるような錯覚に襲われる。
長々と話してしまったが、これが私の体験した、二度と経験したくない恐怖の出来事である。
今年も、例年通り納骨堂へ行かねばならないだろう。
だが、絶対に連れの傍を離れまいと心に誓う。
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