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【奇妙な日常】知らない人の葬式

雨の降る午後、町の集会所に集まる人々はみな妙な顔をしていた。ある住民の葬式だというのに、遺影が見覚えのない人物だったのだ。祭壇の上には、見慣れた名前とはまったく別の人間の写真が鎮座している。誰がどう見ても赤の他人だ。それでも式は粛々と進行している。誰もが「あの人誰?」と口を開きかけては黙り込み、神妙な面持ちで席に座り込んでいた。

流華は商店街の店を閉める間際、近所から奇妙な噂を聞きつけて式にやってきた。にこやかな挨拶をしながら、しかし自分のことはほとんど話さない彼女は、やけに鮮やかな花束を抱えていた。棺のそばをちらりと見下ろし、微笑むとすぐに目を伏せる。参列者の視線が気にならないのか、どこまでも飄々とした態度を保っていた。

会場の後ろのほうで、アキラが鞄を膝に置いて黙っている。まだ高校生のくせに、どこか齢(よわい)を重ねたかのような落ち着きがある。遺影をちらりと見たアキラは、深く首をかしげるばかり。「この写真、一体誰なんだろう?」と小声で呟いたところ、前席の人が「お静かに」と振り返った。しかしその人も不安げな目つきだ。祭壇には知らない人の笑顔が収まり、まるで昔から町に住んでいたかのような堂々とした姿に見えてならない。

やがて司会が始まり、読経めいたものが流れ始めたが、スピーカーから聞こえる声はどこか金属的で生々しく、ただの読経というよりは、何か別の声明を噛み砕いているようだ。針の落ちるような静寂の中、ひさがいつの間にか控室から現れ、流華に会釈を交わす。彼女は美容師で、普段はのんびりした印象があるが、その日ばかりは表情がこわばっている。彼女はいつもの軽やかな雰囲気を隠すかのように、式の端で空気を読んでいた。アキラに気づくと、小さく微笑みかけたが、お互いそれ以上は会話をしない。

祭壇に近づくと、そこに飾られた名札も見当たらない。なぜか花の隙間にカードが一枚置かれているのみ。そこには雑に書かれた文字があった――「この姿だけが本当」。ひさは思わず息を呑み、「どういう……」と声を押し殺すが、返事をする者はいない。アキラも立ち上がろうとするが、足が重く感じられ、結局座り直す。その瞬間、流華は人知れずカードを裏返して、軽く苦笑いするように舌打ち混じりの小声で何かを呟いた。

突然、棺の向こうに配置された遺影が、会場の蛍光灯の光を受けて揺らいだ。写真に写る人物の笑顔が、ふっと淀むように見えたのは気のせいか。参列者たちの何人かが気づき、ささやきが広がるが、葬儀スタッフは何の対応もしない。まるでそこに異常はない、というかのようだ。流華はその様子を冷静に観察すると、祭壇の手前にそっと花束を供え、またスッと腰を引いた。その動きがやたらと滑らかで、場の空気を乱さないようにしているのがはっきり伝わる。

やがて葬式は形式どおり終幕を迎え、読経に似た音声も止まる。遺影は最後まで知らない誰かの顔のまま。棺のふたが閉じられ、運び出されるが、中を覗き込む者は一人もいない。その瞬間、アキラはすっと立ち上がり、ひさに気づかれない程度に前へ進む。もう一度、遺影に顔を寄せようとしたが、スタッフから「お通夜の準備があるのでご退出を」と柔らかく促され、仕方なく引き返す。それを見ていた流華がほんの一瞬、アキラの背中を目で追ったが、特に声をかけないまま会場を後にした。

外へ出ると、普段の霞丘区らしく夜に薄い霧が漂い始めている。急に人の声があちこちで聞こえ、昼間とは違う雑多な空気が入り込む。葬式のあいさつもしないまま解散していく参列者たち。みんな、あの“見たことのない遺影”のことを忘れようとしているかのように、一心不乱に携帯電話をいじったり、小走りで帰路についたりする。ひさは美容院へ戻る準備をし、アキラはカバンを抱きしめたまま駅へ歩く。流華だけが、一瞬ふり返って会場の入り口を見つめ、小さく口の端を上げるような笑みを浮かべている。

まるで、その遺影が本当に誰だったのか知っている――そんな表情をしたのだが、誰もそこに気づく者はいない。白い霧が流華の姿を包み込み、ふと人影が消えそうに見えたが、次の瞬間には普通に商店街の奥へ歩み去った。誰もいなくなった集会場の扉は静かに施錠され、深夜に備えて粛々と電気が落とされる。忘れ形見のように置かれたカードが一枚、捨てられた花束の裏で小さく光っていたが、その文言を読む者はやはり現れなかったらしい。

結局、その葬式が何のためだったのか、あるいは誰を偲ぶものだったのか、最後まで誰一人口にしないまま時が過ぎていく。
いかにも冥ヶ崎らしい不気味な夜が、いつものように幕を閉じた。

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