「お葬式のとき、火葬場への行きと帰りは同じ道を通らない」
皆さんもそんな話を聞いたことがあるのではないでしょうか。
これは、僕が中学生の時の体験です。
母方の祖父が亡くなり、初めてお葬式に参列しました。祖父が亡くなったという実感はあまりなく、ただお坊さんのお経を聞きながら、胸の奥にじんわりと悲しさだけが広がっていくような気持ちで座っていました。
お経が終わりに近づいた頃、遅れて一人の親戚がやってきました。僕の叔母です。
叔母は昔から少し非常識で、親戚の中では厄介者扱いされている人でした。祖父母ともよく口論していたらしく、母も「きっと来ないだろう」と思っていたようです。だから遅刻してでも姿を見せたこと自体、少し意外でした。……ただ、葬式なのにサンダル姿だったんですけどね。
告別式が終わり、出棺の準備をしている時も、裏では祖母と叔母が大喧嘩。祖母が「非常識だ!」と叱りつけ、叔母は逆ギレ。そんな空気のまま、僕たちは火葬場へと向かい、祖父の火葬に立ち会いました。
その帰り道です。
皆が車に乗り込み、それぞれ帰路につこうとしたとき、母が父にこう言いました。
「帰りは、さっき通った道は使わないで。違う道から帰るの」
僕は不思議に思い、理由を尋ねました。
すると母は小さな声で答えました。
「同じ道を通るとね……おじいちゃんが家までついてきちゃうのよ」
気づけば、親戚の車もみな違う道を選んでいました。
ところが叔母だけは違いました。喧嘩の後で機嫌が悪かったせいか、そんな風習を気にすることもなく、「面倒だ」と言って来た道をそのまま帰ってしまったのです。母は呆れ顔で見送っていました。
――そして四十九日。
再び祖母の家に集まり、読経が始まりました。僕はふと、隣に座っている叔母の姿に気づきました。
……痩せこけていたのです。以前はふっくらしていた体が信じられないほどやせ細り、顔には濃いクマが刻まれていました。数珠をぎゅっと握りしめ、目を閉じて必死に何かを唱えている。まるで正気を失ってしまったようでした。
式が終わり、皆で墓参りに向かうと、叔母は我先にと走り、祖父の墓前にすがりつき、泣きながら何度も謝罪を繰り返しました。
親戚たちは唖然とし、誰も声をかけられませんでした。
その理由を、後で母と祖母から聞きました。
――火葬場から帰った翌日から、叔母の部屋に毎晩祖父が現れるようになったのだそうです。
ただ立って、じっと睨んでくる。声もかけない。ただ無言で。
叔母は恐怖に耐えられず、友人の家やネットカフェに泊まるようになりました。けれど、どこに行っても祖父は現れた。友人には見えず、ただ叔母だけがその視線を受け続けた。精神科を勧められるほど、叔母は追い詰められていきました。
そうして四十九日のその日まで、毎晩、祖父は現れ続けた。
叔母が痩せ細り、必死に謝罪していた理由はそれでした。
僕はその話を聞いたとき、母の言葉を思い出しました。
「同じ道を通ると、ついてきちゃうのよ」――。
あれはただの迷信なんかじゃなかったのかもしれません。
それ以来、僕はもしまた葬式に参列することがあったら、決して行きと同じ道では帰らないと心に決めています。
提供:成瀬 様
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